永遠も半ばを過ぎた。
私とリーは丘の上にいて
鐘がたしかにそれを告げるのを聞いた。
私たちは空を見上げる。満天の星を。
永遠の書物を。
私とリーはまだその表紙を開いたところだ。
いずれにしても、立ち上がりそして立ち去らねばならない。
星々の香気を追って、旅を始めなければならない。私はリーの細い手を取った。1995年 株式会社文藝春秋 中島らも『永遠も半ばを過ぎて』91Pより引用
生理により変化する女性のココロを正しく理解できていなかった
私の妻は、生理がはじまると、いつも不機嫌でした。何かの本で「女性のココロとカラダは、女性ホルモンの影響を受け、生理周期によって大きく変化する」と読んだ記憶があり、「世の中の女性は皆、こういうものなのだろう」と思っていました。
Googleの検索窓に「生理 不機嫌」と打ち込んだことがあります。
生理前の「黄体期」はホルモンバランスが激変するため、ココロもカラダも不安定になる。理由もなくイライラしたり、落ち込んだり、とにかく不機嫌になる。
という趣旨の解説を見て、頭に「?」が浮かびました。私の妻は黄体期もニコニコしているのです。それどころか、いつも私のカラダを気づかってくれるのです。不機嫌になるのは決まって、生理が始まった日だけでした。
閑人閑話①
この記事を読んでくれているのは、「赤ちゃんがほしい」と願い、「妊活を意識した」男性が大半だと思いますから、生理周期について簡単に解説しておきます。
生理周期は大きく4週に分けることができます。
①「月経期(生理)」
②「卵胞期」
③「黄体期(第1週)」
④「黄体期(第2週)」
黄体細胞の寿命が14日前後であることが分かっていて、ゆえに黄体期は14日間程度です。
もちろん、月経期が、カラダに大きな負担を強いることも知っていましたが、妻のようすは少し異常にも思えました。私は、脳みそを蚊に刺させたれような違和感を、ずっと感じていました。
晩婚化は社会問題ですが、私たち夫婦も晩婚でした
私は大学卒業後、地方新聞社の記者としておよそ20年、働いてきました(この記事を書いている現在も勤めていますが)。昼も夜もなく取材と原稿書きに追われる毎日は、やり甲斐を感じ使命感に燃える反面、「ぼろ雑巾のような人生」だとも思っていました。それでも「記者を辞めたい」と考えたことは一度もありませんでした。何年かに一度、「書いて良かった」「書いたから変えられた」と、同僚や記者仲間と一緒に誇れる瞬間があり、そんなつかの間の高揚感が、背中を押し続けてくれたように思います。「仕事の鬼」という言葉でごまかしていましたが、絵に描いたような〝社畜〟だという自覚もありました。ゆえに、結婚はとうに諦めていました。
しかし、40歳の時、妻と出会いました。取材対象に心を重ね、普通の人の何十倍もの貴重な経験を積んだ、少し変わった人種が記者だと思いますが、そんな記者の斜め上をゆく、自由で思慮深い彼女に惹かれました。彼女は、ぼろ雑巾のような私が書いた記事に、価値を見付けてくれ、とても大切にしてくれました。
夢にも思わなかった結婚でしたし、お互いに40歳を超えてからの結婚でしたから、私は、子供を授かることまで欲張るつもりはありませんでした。妻も一度だけ、「そこまでは望めないかもしれない」とすまなさそうに言いました。「子供は天からの授かりもの」というのだから、運に任せようと思っていました。私は二人でいられるだけで、十分に幸せでした。妻が笑う度に、残りの人生をすべて、妻のために使おうと、誓い直しました。
「生理が来る度に、母になれる可能性を失なっていく」
ある夜、妻が、いつものように「生理がきた」と言い、大粒の涙を流しました。
私は中島らもが「自身が書いたものの中で一番好きだ」と語った小説『永遠も半ばを過ぎて』を読み返したいと思い、Amazonの画面を眺めていました。妻が放った言葉は、本当に衝撃的なものでした。そう、油性マジックで脳みそに書かれたような…私はこの言葉を一生忘れないでしょう。
「生理が来る度に、母になれる可能性を失っていく。女性としての価値をすべて否定されるようで、辛くて、悲しくて、悔しくて、悲しくて、悲しくて…」
私は、無知を理由に、妻の気持ちを理解できていなかった自分が、今でも許せません。妻は笑顔の裏で、ずっと、泣いていたのです。人生はどこか、永遠につづくような気がしていました。でも、私が永遠だと信じている多くの勘違いには、当然ですが、終わりがあるのです。
閑人閑話②
後になって得た知識ですが、女性は決まった数の卵子を持って生まれてきます。卵子の数は、母親のおなかにいる時に、すでに決まっており、体内で新たに作られることはありません。一方で、男性の精子は高齢になっても新たに作り続けられます。だから、私のように、卵子の事実を知らない男性が多いのではないでしょうか。私は妻の生理の周期すら把握していませんでした。これが妊活にとって、どれだけ、致命的な行為であるかは次の記事で書きたいと思います。
不妊の現実は星の数の文字となって画面を流れた
泣き疲れた妻の寝顔を見ながら、私は検索窓に「子供を授かる方法」と打ち込みました。多くの人が不妊に悩んでいる現実が、星の数の文字となって画面を流れていきました。
42年も生きてきた私は、この日はじめて「妊活」という言葉を知りました。